宅地建物取引士試験のはじまりと変遷
宅地建物取引士(宅建士)試験は、昭和33年(1958年)から始まり、時代とともにその内容や難易度が変化してきました。本記事では、宅建試験の歴史を詳しく解説します。
昭和33年~昭和39年:「宅地建物取引員」時代
宅建試験の前身は「宅地建物取引員試験」としてスタートしました。昭和39年までの試験制度には以下の特徴がありました。
- 受験者数:36,000人
- 合格率:93%(非常に高い合格率)
- 出題数:30問
- 試験内容:
- 権利の変動(9~12問)
- 法令制限(6~9問)
- 宅建業法(4~6問)
- 税法その他(5~8問)
- 特徴:
- 法令集の持ち込みが可能だったため、現在と比べて試験の難易度は低かった。
- 宅建業法の比率が低かった。
昭和40年~昭和55年:「宅地建物取引主任者」時代
昭和40年(1965年)に「宅地建物取引主任者」に名称が変更され、試験内容も変更されました。
- 問題数:40問に増加
- 受験者数:10万人を超える
- 合格率:30%以下に低下
- 受験料:500円(当時としては高額)
- 試験内容の変化:
- 税法その他の問題数が減少(昭和42年の14問から昭和55年には6問まで減少)
- 合格基準点は24点前後で推移
この時代から受験者数が大幅に増加し、試験の競争が激しくなり始めました。
昭和56年~平成13年:「50問制の導入と合格率の低下」
昭和56年(1981年)から、現在と同じ50問制が導入されました。
- 合格率:16%前後に低下
- 受験者数:10万人~20万人に増加
- 受験料:5,000円に上昇
- 試験内容:
- 権利の変動(15問)
- 法令制限(10~13問)
- 宅建業法(15~17問)
- 税法その他(7~9問)
この時代から、宅建試験の難易度が本格的に上昇しました。
平成14年~平成26年:「情報公開制度の導入と5問免除制度」
平成14年(2002年)から、合格基準点や正解番号が公表されるようになりました。
- 平成9年(1997年):「5問免除制度」の開始
- 不動産流通近代化センターの「指定講習」を修了すると、5問が免除される制度が導入。
- 平成14年(2002年):合格基準点の公表開始
- それまで不明だった合格点が発表されるようになり、受験者の戦略が変化。
- 平成15年(2003年):正解番号の公表開始
平成27年~現在:「宅地建物取引士」への名称変更
平成27年(2015年)4月1日より、「宅地建物取引主任者」は**「宅地建物取引士」**に名称が変更されました。
- 「士」資格の仲間入りを果たし、国家資格としての地位が向上。
- 試験の難易度や合格率の変化が今後の焦点となる。
まとめ
宅建試験は、昭和33年の「宅地建物取引員」試験から始まり、時代とともに進化してきました。
- かつては合格率90%以上だったが、現在では**約15~17%**と難関化。
- 試験問題も30問→40問→50問と増加し、出題傾向も変化。
- 情報公開制度の導入により、合格ラインの予測が可能に。
- 宅建士への名称変更で資格の地位が向上。
これから受験を考えている方は、宅建試験の歴史を理解し、適切な対策を立てることが合格への鍵となります。